三人目は記憶なし!?

こんにちは、こんばんは
今日は我が家の末っ子、三女の紹介です

と、その前に。私の妊娠歴をご紹介
長女はわりとサクッとご懐妊
次女は不妊治療の末に生まれました
長女・次女の年の差は3つ
私自身が一人っ子だったので、子どもは3人くらい欲しいな
と思ってはいましたけど、3人目は積極的に治療をしてまで……
って感じでした
まあ、次女の子育てでヒーヒー言ってましたからね(笑)
あんまり考えていなかった、というのが本音です

ところが、次女が4歳の時に妊娠発覚!
(出産すれば長女と8歳、次女と5歳差)
嬉しい反面、これ以上増えて我が家は大丈夫か?
という不安はありました
特に次女の子育てで毎日てんやわんや!
これ以上お世話できるのか!? 自分!って感じです
でもまあ、出来ちゃったものはしょうがない(ポジティブ思考w)
この頃には長女は小学校、次女も幼稚園に通っていましたから
日中は末っ子と二人。さらには近所に住む私の両親も
仕事をリタイヤして家にいたので、協力体制は万全!
生まない、という選択肢はなかったですね

母親がいっぱい

無事3900g超の女の子を出産し、三姉妹の子育てがスタートしました
想定外だったのは、長女と次女が積極的にお手伝いしてくれたこと
小学2年生だった長女はおむつ替えもお手の物でした(おしっこ限定)
次女はお知らせ係(泣いたよ~とか、ウン〇出た~など)と遊び相手専門


たどたどしいながらも
泣けばあやし
おもちゃを与え
寝かしつける
もちろん危なっかしいところもあるので
見守りは欠かせません
場合によっては、本人たちのやる気を削がないよう
バトンタッチをしたり、よりよい方法を伝授したり
と、この頃はとてもいい関係でしたね
「三女の子育て」という名目で、長女・次女のしつけ的なもの
(ルールを守る・人の話を聞く・相手の気持ちを想像するなど)
を伝えていたと思います

「思う」という表現になったのは、狙ってやっていたわけではなく
必死にやってたら自然とこうなった、って感じだから
当時は何もかも必死過ぎて、狙って何かをするなんて
考えられませんでしたからね

とにかく、図らずしてお世話係がたくさんいる環境……
三女にとっては母親が3人(ば~ばも入れれば4人)いる状態に
なったわけです

記憶がない……

これ、子どもが多ければ多いほどあると思うのですが
(あると思いたい)
下に行くほど、乳幼児期の記憶が無いんですよ……
直近であるにも関わらず、です
とにかく毎日いろんなことがありすぎて(特に次女)
それが今日のことだったか、昨日のことだったか
それすらも分からなくなる
それが1週間前、1か月前となればなおさら
さらに1年前なんて、きれいさっぱり忘れちゃう(笑)

だから、三女に「私が赤ちゃんの時ってどうだったの?」って聞かれても
「え~っと……いい子で全然手がかからなかったよ」
って答えるしかない(ホントごめん)
逆に姉たちの方がよく覚えていて
「え~っ、こんなことしてママに怒られてたじゃん」
ってツッコミを入れてきます
(母的には怒った記憶はあるけど誰を怒ったのか記憶なし)

これは末っ子の宿命だと思って……
思い出話は姉たちがいるところでするよう、心がけています(ナイショ)

忘れ物の多さに疑念を抱く

実母や姉たちのフォローのおかげで特に問題もなく
三女はスクスク育ちました
強いて言えば、3歳児検診で「言葉の遅れ」を心配したくらい
こちらの言ってることは分かるのですが、発語がほとんどなかったのです
保健師さんと色々お話をして、積み木やぬいぐるみで検査?をしました
そして言われたのは……

「原因はお姉ちゃんたちですね!
おしゃべりしなくても周りが察してなんでもやってくれるので
しゃべる必要性を感じていないんだと思います」

という、驚きの結果
言われてみれば確かに!
姉の顔見てニコニコしていれば、「どうしたの~?」とかいって
姉たちがお世話してましたわ
つまり、三女は王様状態だったわけです
この後、姉たちに事情を説明して環境を改善
それから数週間くらいで堰を切ったように
言葉が出るようになりました
環境ってホント大切だな、とつくづく感じました

幼児期の心配事は本当にこれくらいだったのですが
小学校に入ってからは「だらしなさ」が目立つようになります
洋服の汚れが気にならない
忘れ物が多い
部屋の片づけが出来ない
指示をすぐ忘れる
出しっぱなし・使いっぱなし・広げっぱなしの3ぱなし
正直「ああ、この子もか……」と思いました
次女は中2の時にようやく「ADHD」と診断がついたので
その流れで、小3だった三女も同じ病院で検査を受けることに
結果は次女と同じ「ADHD」と「ややASD(自閉症スペクトラム)傾向あり」
と診断されました

同じ轍を踏まない

次女は発達凸凹が分かってから「ADHD」と診断がつくまでに
8年かかりました


出来るのにやらないのか
出来ないことを強要しているのか


常にその狭間で、親として注意をすべきなのか
それとも、出来ないと割り切って別の道を模索するか
という葛藤を抱えていました
反抗期も相まって、次女が何に困っているのか
どうして欲しいのかが見えずらく、突破口が見えない日々が続きました
もちろん、スクールカウンセラーの先生にも何度も相談しましたが
学校ではよく出来る子だったので
「様子を見ましょう」といわれるばかり
様子っていつまで見てればいいの!?
と自暴自棄になりかけ、一か八かで動いたことで事態が進展します
結局、自分が動く以外に道は無かったんだと思います


だから、三女の時は「絶対に同じ轍は踏まない」と心に決め
すぐに受診&検査を決めました
予想通りの結果で、むしろ次女の時のようにお互い苦しい思いを
しなくて済むんだ、とホッとしたのを覚えています。

そんな三女も、この春から中学生
絶賛反抗期真っただ中ですwww
お薬も飲んでいますが、「3ぱなし」は健在
「ご飯になるからテーブル片付けてね」といえば、文句の3つは飛んできます
特性だから、と甘やかすつもりはありませんが
文句を言いつつも自分で出したものを片付けたらOK
「お片付けありがとう」と伝えています
時にはカチン!と来ることもありますがw
次女の時よりは、おおらかな気持ちで過ごせています

出来ないのはわざとではない
忘れちゃうんだから仕方がない
言われた後でも、自分で始末をしたのだからそれでOK
社会に出るまでに、忘れないようにするための創意工夫を
覚えてくれればいいかな、と思っています


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